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秋田地方裁判所 昭和37年(ワ)87号 判決 1967年7月14日

主文

被告は原告に対し金九〇四、六〇七円及びこれに対する昭和三六年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告の負担、その余を被告の負担とする。

この判決は原告において金三〇〇、〇〇〇円の担保を供するときはその勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

「被告は原告に対し、金一、四四五、〇〇五円及びこれに対する昭和三六年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

第二  当事者の主張

(原告の請求原因)

一、原告は男鹿市船川港に船籍を有する第八万盛丸(二一・八一一噸、焼玉八〇馬力)を所有し、漁業を営んでいるものである。

二、昭和三六年四月一日同船は船川港から鮭鱒の流網に出漁し、沖合で一八〇反の定置流網を使い操業していたところ、被告所有第五幸栄丸の船長兼漁撈長である訴外石見敬作が同船で操業中自船の漁網を紛失したところから、その補充にあて更に操業を継続せんがため、同年五月三日右定置流網のうち八〇反を切取り窃取しこれを持去つたため第八万盛丸は以後操業不能となつた。

三、なお、右訴外人は昭和三七年三月二七日相川簡易裁判所において右窃盗事件につき懲役一年二月の判決をうけている。

四、ところで原告は右訴外人の前記不法行為により次の如き損害を蒙つた。

(一) 得べかりし利益五〇九、一三九円

当時の第八万盛丸の鮭鱒流網の許可期間(毎年四月から六月)中の平均水揚高は、二、〇〇〇、〇〇〇円であり、右期間中出漁して操業するため必要な経費は(イ)乗組員賃料五〇〇、〇〇〇円(ロ)同賄費一〇〇、〇〇〇円(ハ)燃料費二五〇、〇〇〇円(ニ)船体、機関、漁網修理費一〇〇、〇〇〇円(ホ)雑費五〇、〇〇〇円の計一、〇〇〇、〇〇〇円であつて、平均して一、〇〇〇、〇〇〇円の利益を得るものであり、昭和三六年度も少くともこれと同程度の水揚高があるとみられるところ、右訴外人の不法行為の結果、同年度は同年四月一日より五月二日までの間操業したにとどまり水揚高も四九〇、八六一円にとどまつた。

よつて、少くとも右一、〇〇〇、〇〇〇円の得べかりし利益よりこれを控訴した五〇九、一三九円が損害となる。

(二) 窃盗された漁網の損害四六九、四一二円

(イ) 修理費一八一、四一二円

窃盗された八〇反の漁網のうち六三反は被告方倉庫で発見され証拠物として領置されうち四四反が昭和三七年四月原告に還付された。しかしこれらは右訴外人がカムチヤツカ半島西岸北緯五二度附近沖合まで密漁に出て使用するなどしたため損耗甚だしく修理費として反当を四、一二三円を要し四四反で計一八一、四一二円の修理費を要した。

(ロ) 漁網代金二八八、〇〇〇円

残り三六反のうち、一九反については刑事事件証拠物として領置され昭和四一年二月九日還付されたが、全部使用不能となつてしまつており更に残り一七反については、被告より返還をうけることができなくなつたものである。そしてこれらの漁網は窃取された当時の価格(中古品として)にして反当り八、〇〇〇円相当であるから、三六反分として合計二八八、〇〇〇円となり(イ)、(ロ)を合計すると四六九、四一二円となる。

(三) 出張費等六六、四五四円

右訴外人の窃盗被疑事件の参考人として原告方使用人訴外小玉一郎、訴外柚木一郎の両名が昭和三七年一月二七日より四日間両津海上保安署に出頭し、更に同年四月二四日領置された流網のうち四四反の返還をうけるため四日間出張したがその際の同人等の旅費宿泊費その他雑費として原告が支出した費用は五八、八四〇円である。

両津、船川間の右漁網運搬費をこれに加えると要した経費は合計六六、四五四円となる。

(四) 慰藉料金五〇〇、〇〇〇円

原告は訴外石見の不法行為により出漁早々流網を失い操業中止のやむなきにいたつたが嵐にもあわないのに網を失つたことに付ての不安、帰港した船舶、船員についての対策等これによりうけた精神的苦痛不安は多大なものがあり、これを金銭に見つもれば少くともその損害は五〇〇、〇〇〇円を下らないものである。

五、以上右訴外人の不法行為により原告が蒙つた損害は(一)乃至(四)の合計一、五四五、〇〇五円であるが、昭和三七年一二月二五日同人から金一〇〇、〇〇〇円の支払をうけこれを右慰藉料の内金に充当したので、現在これを控除した一、四四五、〇〇五円の損害賠償請求権を有するものである。

六、しかして、被告は船主として右訴外人を使用している者であり右訴外人のなした本件不法行為は前叙のとおり第五幸栄丸の船長かつ漁撈長として自船の操業を継続せんがためこれをなしたものであるから、被告は同人の使用者として原告の蒙つた右損害を賠償すべき責任がある。

七、よつて、原告は被告に対し、右損害の合計一、四四五、〇〇五円及びこれに対する右訴外人の不法行為がなされた日以後である昭和三六年五月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の答弁及び抗弁)

一、請求原因一項は認める。

二、請求原因二項中、昭和三六年五月三日被告所有第五幸栄丸の船長兼漁撈長である訴外石見敬作が、原告所有第八万盛丸の設置した定置流網を窃取したことは認めるがその反数は六三反である。その余の事実は不知。

三、請求原因三項は認める。

四、請求原因四項は全て争う。

五、請求原因五項中、昭和三七年一二月二五日訴外石見敬作から原告に対し金一〇〇、〇〇〇円が弁済されていることは認めるがその余は争う。

六、請求原因六項中、被告が船主として右訴外人を使用する者であることは認めるがその余は争う。

昭和三六年四月右訴外人は秋田県沖合で漁業に従事中漁網を流失し、その旨連絡してきたので、被告は漁獲作業を中止して両津港に帰港するよう指示していた。

右訴外人の本件窃取行為はその後の事に属する即ち業務の執行中止を命じられた状態中に行なわれたものであるから所謂事業の執行に付きなされた場合に該当しない。又、本件窃取行為はこれを外観上からみても漁業上の職務の執行に付きなされた行為ということはできず、いずれにしても被告が責任を負うべきいわれはない。

七、仮に右の主張が理由がないとしても、被告は使用者として右訴外人の選任は勿論監督に付て何ら過失がなかつたのであるから責任を負う必要はない。

即ち、右訴外人は船長としての有資格者であるところ、船長は船内にあつては船員に対して絶大の権限を有し、船が船籍港を離れて漁に出ると船長は海流気象等一切の条件を判断して漁撈に従事するものであるところ、前述のとおり被告は同年四月中に右訴外人に帰港を命じているばかりか、同年五月二日再び漁網一〇〇反を流失したとの連絡をうけた際も同月四日五日と新潟市漁業無電局を通じ帰港を命じているのであつて、選任についてはもとより監督の点についても使用者としてなすべき監督はなしておりこの点に何ら過失はなかつたものである。

八、よつて、原告の請求は理由なく失当として棄却を免れないものである。

(被告の主張に対する原告の反論)

一、被告は、訴外石見敬作のなした本件不法行為が業務の執行につきなされたものでないというが、使用者の事業の執行としてなすべきことが存在する場合に、これを執行すべき被用者が、自己又は他人の利益を図る目的で不法にこれを執行しても、事業の執行というべきものである。

本件において被告は使用者として一切を船長である訴外人に任せて出漁させたものであり、しかも被告は右訴外人が盗品である網を使用してカムチヤツカ半島に密漁に出て得た水揚をも取得しているのであり、被告の主張は理由がない。

二、次に被告は、右訴外人の選任監督について過失がないから責任がないとの抗弁は争う。即ち第五幸栄丸が五月二日一〇〇反の漁網を紛失したにもかかわらず特にこれを補充することもせず同月中旬同船が新潟港から両津港に帰り更にカムチヤツカにむけ出漁したのにその間何らの調査もせず放任し同人らがカムチヤツカで密漁することも看過しているなど船主としてなすべき監督を何ら行なつておらないことは明らかである。

第三  立証(省略)

理由

一、(不法行為の成立について)

原告が男鹿市船川港に船籍を有する第八万盛丸の所有者であり漁業を営むものであること。被告所有第五幸栄丸の船長兼漁撈長である訴外石見敬作が昭和三六年五月三日、右第八万盛丸の設置した鮭鱒の定置流網の一部を窃取したこと(反数の点を除く)、及び右訴外人はこの事件に関し昭和三七年三月二七日相川簡易裁判所において懲役一年二月の判決をうけたことはいずれも当事者間に争いがない。

ところで窃取された流網の反数について被告はこれを六三反であると争つているが、証人柚木勝良、同小玉一郎(第一回)の各証言、成立に争いなき甲二号証の二、三号証の一、四、四号証の二、三、乙一号証の二、三によれば窃取された流網の反数は原告主張のとおり八〇反と認められ、成立に争いなき甲二号証の四、八、三号証の二、四号証の一、乙一号証の四のうち右認定に反する部分は前掲各証拠と対比してこれを措信することはできず、又、成立に争いなき甲二号証の一、六も右認定を左右するに足りない。

右のような訴外人の流網の窃取行為が原告主張の如く法に所謂不法行為に該ることはいうまでもなく、そして、被告が右訴外人の使用者であることは当事者間に争いのないところである。

二、(使用者責任の成立について)

ところで被告は右訴外人の前記所為を、被告が漁獲作業を中止して帰港を命じた後のものであるから、又外観上からみても流網の窃取行為は被告の経営する漁業の職務の執行に付きなされたものとはいえないと主張する。

しかし乍ら、証人石見敬作の証言によれば右の帰港を命じたというのは昭和三六年四月同人が網を流失した際の指示を指すものであると認められるところ、更に同証言によれば本件は右指示に従い一度帰港し、流失した網を補充し再び出港した後の事件であると認められるのであり、この点に関する被告の主張は理由がないといわねばならない。又、外観上からみても職務執行行為に該らないとするが、成立に争いなき甲二号証の四、八、三号証の二によれば訴外石見敬作が本件流網の窃取行為に出たのは、船長として操業中自船の漁網を紛失したところから、その補充の用に充て、更に操業を継続せんがため部下の船員の協力を得てこれを行つたものであることは明らかであり、このような所為が法に所謂「事業ノ執行ニ付キ」なされたものとみらるべきものであることは民法七一五条の法意に徴し当然というべく、この点に関する被告の主張も理由がない。(参照昭和三一年(オ)第三九八号、同年一一月一日、最高裁判所第一小法廷判決、判例集一〇巻一一号一四〇三頁)

次に被告は右訴外人の選任監督につき過失なく責任を負ういわれはない旨抗弁するのでこの点につき判断する。

証人石見敬作の証言、被告本人尋問の結果によれば右訴外人が船長としての有資格者であつたことは認められるが、単に船長としての有資格者を採用したというそのこと自体のみによつて当然に選任に過失なしといいうるものではないことは勿論であるし、又被告が監督を怠らなかつた証左とする同年五月四日、五日の電報による帰港命令の点については、被告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる乙三号証の三、四によりこれを認めることができるが、しかし本件行為のなされたのはそれより以前の同年五月三日であることは当事者間に争いのないところであるから、この一事をもつて監督に過失なしとは到底いいがたく、結局この点に関する被告の抗弁は理由なく採用できないものといわねばならない。

三、(損害額について)

以上認定のとおり被告が訴外石見敬作の使用者として同訴外人が原告に与えた損害を賠償すべき義務あることは明らかであるから以下損害額の点について判断する。

(一)  (得べかりし利益について)

まず証人小玉一郎の証言(第一回)およびこれにより真正に成立したと認められる甲五号証によれば、第八万盛丸が当時数年間の流網許可期間内にあげうる平均水揚高は金額にして二、〇〇〇、〇〇〇円を下るものではなく、昭和三六年度も少くともこれと同程度の水揚をうることができ得たものと認められる。

右認定に反する被告本人尋問の結果は前掲各証拠と対比して措信できない。

しかしてこれを得るための、乗組員賃料、同賄費、燃料費、船体・機関・漁網の各修理費等その他雑費の必要経費が金額にして合計一、〇〇〇、〇〇〇円割合にして水揚高の五〇パーセントにとどまるとの点についてはこれを明確に認むべき証拠はないが、同証人の証言に徴すれば二、〇〇〇、〇〇〇円の平均水揚高をあげるのに要する必要経費は水揚高に対する割合にして多くとも五六パーセントをこえることはないと認められるので、これにより計算すると二、〇〇〇、〇〇〇円の水揚高のうち八八〇、〇〇〇円が純利益となる。

そして、右甲五号証によれば第八万盛丸は同年度は網を窃取される五月二日までの間に四九〇、八六一円の水揚をえていることが認められるところ、少くとも右八八〇、〇〇〇円からこれを控除した三八九、一三九円が原告の喪失した得べかりし利益と認めうるものであり、この点に関する原告の主張は右認定の限度で理由があるものといえる。

(二)  (窃取された漁網の損害について)

(イ)  修理費について

証人柚木勝良、同小玉一郎(第二回)各証言によれば窃取された漁網のうち昭和三七年四月原告に還付された四四反の漁網は損耗甚だしく修理費として原告が反当り四、二〇〇円を支出していると認められるのでこれを四、一二三円として計算した原告の一八一、四一二円という額は全額これを認むべきものである。

(ロ)  漁網代金について

証人小玉一郎の証言(第二回)によれば刑事事件として押収され後に還付された一九反の漁網が全部使用不能の状態にあつたこと、その余の一七反については所在が明確でなく結局被告より返還をうけることができなくなつたものであるが、これらの漁網の価格は事件当時の価格(中古品として)にして少くとも八、〇〇〇円を下るものではないと認めうる。

したがつてこれら三六反については反当り、八、〇〇〇円として計算した漁網代金相当分二八八、〇〇〇円が損害額と認められ、結局漁網の損害は右(イ)、(ロ)の合計四六九、四一二円となる。

(三)  (出張費等について)

証人小玉一郎の証言(第二回)及びこれにより真正に成立したものと認められる甲一四号証の一乃至六を総合すると、捜査当局からの連絡により窃取された網の確認とそれの還付をうけるため原告方従業員である同証人と原告から依頼をうけた訴外柚木勝良が昭和三七年一月と四月の二回にわたり両津海上保安署に出頭し、網の確認と還付される網の受領にあたつたがその際旅費として少くとも一一、二〇〇円(船川から秋田、新潟経由両津まで、列車は一等普通急行、船便一等利用として計算、なお、当人たちの年令、目的地までの距離等諸般の事情からみて一等を利用することは社会常識上相当なものと認められる。)宿泊費として一七、四五六円、その他雑費として被告方番屋から両津海上保安署まで網を送るトラツク代、還付をうけた網の梱包代、船着場までの車代として少くとも一七、四〇〇円の費用を要したものと認められる。

しかし乍ら、両津船川間の右漁網運搬費についてはこれを認めるに足る証拠はなく、又雑費として訴外柚木勝良に謝礼金として一〇、〇〇〇円を支払つた事実は認められるが、これは所謂通常損害ではなく特別事情による損害とみらるべきものであるところ、この点について被告において当然に予見可能であつたと認むべき証拠はなくこの部分は棄却を免れないものであり結局、出張費等に関する損害は合計四六、〇五六円となる。

(四)  (慰藉料について)

証人小玉一郎(第一回)同斎藤貞吉の各証言及び原告本人尋問の結果によれば本件により原告がその主張のように多大の精神的苦痛をうけたことが認められるところ、このような精神的苦痛は漁業という事業の特殊な性格からみて、漁網の窃取により蒙つた財産的損害の賠償のみをもつてしては慰藉されえないものと解せられ、しかしてこのことは同じく漁業を営む被告にとつて当然に予見せられるべき筋合のものである。

よつて、賠償さるべき慰藉料の額について考えてみると本件不法行為の態様、原被告の職業乃至社会的地位、更に直接の加害者である訴外石見敬作が刑事裁判で有罪判決をうけていること、同訴外人との間に示談が成立していることなど諸般の事情を斟酌するとその額は金一〇〇、〇〇〇円をもつて相当とすると認められる。

(五)  (損害額の総計)

ところで右(一)乃至(四)を合計すると一、〇〇四、六〇七円となるがすでに訴外石見敬作から一〇〇、〇〇〇円の弁済をうけこれを前記慰藉料に充当したことは原告の自認するところであるから、これを控除した九〇四、六〇七円が損害額となる。

四、(結論)

以上のとおりであるから被告は右九〇四、六〇七円とこれに対する不法行為の後である昭和三六年五月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を原告に対し支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は右認定の限度において理由があると認めてこれを認容し、その余を棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

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